雲に包まれた時計ブランド「H.モーザー」がソフトローンチした「エンデバー38mm 」とは?
皆さま、こんにちは。谷です。
いかがお過ごしでしょうか?11月最初の週末は雨でのスタートとなりました。
グッと気温が下がり、一気に秋から冬へ進みそうですね。体調には気をつけてお過ごしくださいませ。
さて、今回は雲に包まれた時計ブランド、H.モーザーをご紹介。
お時計好きの方や玄人と呼ばれる方々からラブコールの止まらない時計「Hモーザー」
どうして、こんなにも人気なのでしょうか?また、今回ご紹介する時計は今年の新作で、ソフトローンチされたものです。
また情報が少ないので合わせてご紹介させていただきます。
まずは、H.モーザーについてご紹介していきます!数奇な運命を辿るブランドですが、果たして…。
H.モーザーってどんな時計ブランド?
『H.モーザー』は1828年にロシアにて生まれた時計ブランドです。
このブランドを立ち上げたのはスイス・シャフハウゼン生まれの時計師であり、実業家でもある『ハインリッヒ・モーザー』(1805年~1874年)です。
スイス・シャフハウゼンに生まれた『ハインリッヒ・モーザー』は、時計師の家系に生まれ、彼もまた幼い頃より時計師になる事を目指していました。
彼は願い通り時計師となり、スイス、ジュラ地方のル・ロックルに移り自身の工房を持つことになりました。
彼が作る時計はスイス以外の国からの評価も高く、ロマノフ王朝の皇帝へ献上する置時計の製造を行うなど20代にして高い評価を得ていました。
時計について学び、国内外から高い評価を受けた『ハインリッヒ・モーザー』は、生まれ故郷であるシャフハウゼンに戻ります。しかしながら、シャフハウゼンの時計師協会は『ハインリッヒ』が戻ってくることを拒みました。
実は、当時の職人たちは閉鎖的な空間であり、地元以外で高い評価を得た『ハインリッヒ』のような若者を受け入れる文化が整っていませんでした。
地元シャフハウゼンに戻る事をあきらめた『ハインリッヒ』は、かつて時計の製造で高い評価を得た『ロマノフ王朝』(現在のロシア)に向かいます。ロシアの中でも、西側に位置するロシア第2都市『サンクトペテルブルク』に渡り1828年に『H.モーザー』を創立しました。
彼は、とても凝り性な性格だったことで、複雑時計や様々な装飾を施した時計で成功しました。
スイスから離れロシアで成功した「ハインリッヒ」は、翌年の1829年に再びスイス・ルロックルに戻り、販売航路を増やすために工房を建てました。
その後、H.モーザーの時計は、ヨーロッパ、アジア、アメリアと大陸を渡り、多くの人々に知られることとなりました。第2の故郷ロシアでは、軍用時計の製作を行ったりしています。
工房があるル・ロックルでは、地域の雇用を生み出し、技術・地域の発展に貢献したことで『ルロックル名誉市民』の称号を与えられました。
次のステージへ。時計の産業化を進める『H.モーザー』
時計の製造を行い続け、称号や賞を受賞していく中で、1848年『ハインリッヒ・モーザー』はうまれ故郷であるシャフハウゼンに戻ることが出来ました。
しかし彼はただ地元に戻るだけではなく、時計を時計を工業化することで、街を発展させようと考えました。というのも、1840年頃隣国ドイツでは第2次産業革命が真っ只中であり、それによる産業の発展を見ていたのです。
シャフハウゼンは自然が豊かなライン川に位置します。ライン川の水の勢いに着目した『ハインリッヒ・モーザー』は水力発電を提案。運河を建設し、電気を安く提供する事で街の発展を願いました。
しかし、簡単にはいかず、地域の政治家たちが反発。街の発展を諦めるしかない状況になりましたが、市民が立ち上がり計画に賛同。結果、計画が進む事となりました。
電力が工場に供給されることによって、安定的に工場を動かすことが出来るようになりました。ハインリッヒは新しい事業として鉄道車両製造の工場やチューリッヒ地方(シャフハウゼンから南に約35㎞)への陸路の開拓、時計学校などを建てました。
また、1865年にはスイス最大のダムを建設し、低価格で電力供給が工場に行えることから国外の工場の流入も受け入れました。そんな工場の中には、IWCの姿もありました。
1874年にハインリッヒが亡くなり、その後1904年、1917年に起きたロシア革命によって財産の没収。その後もスイス・ルロックルでは操業していたものの、1969年~1970年代においてはクォーツショックが重なり、1979年には廃業してしまいます。
約20年の時を経て再復興~現代のH.モーザーとは?~
廃業になり、時計をつくらなくなり約20年が経った頃、IWCから手助けが…。
1868年に創業したIWCは、『ハインリッヒ・モーザー』が土地の提供や電力供給でバックアップを行いました。その恩返しなのか当時IWCの技術部長だったユルゲン・ランゲ博士とハインリッヒの曾孫にあたるロジャー・ニコラス・バルジガーの手によって2002年に再復興されました。
約4年の歳月を経て、こだわりの強い技術者であるランゲ博士によりハインリッヒの思想や感性などが反映された腕時計たちが発表されました。
しかしながら、時計をつくる事に長けていたランゲ博士は、経営には全く向かず、業績は芳しくありませんでした。
そんな中2012年にスイス有数の時計師一族メイラン家の一人ジョージ・ヘンリー・メイラン氏が率いるMELBホールディングスにより回収され、ジョージの息子であるエドゥアルド・メイラン氏がCEOとなり現在に至ります。
腕時計の概念を壊す!新たな時計としてのイメージを作り上げるH.モーザー
ブランドの歴史を知っていただけましたでしょうか?
まだまだ謎多き時計ブランドの1つ、「H.モーザー」が2024年9月20日にそっとローンチされた時計「エンデバー・センターセコンドコンセプト ブルーラグーン」
こちらのモデルはサイズが38mmとUNDER40mmのモデルです。
そして何よりフュメダイヤルが大変美しく、見る角度や照明の明かりで大きく印象を変えるのが特徴です。
そのようなカラーリングはなかなかありませんよね!
明るいところで見るとこのように中心から外側に向けて施されたサンレイ仕上げが美しく輝きます。このサンレイ仕上げは200以上もの工程を踏み製作されるもので、「H.モーザー」が認めるクオリティのものはわずかしかできないと聞いています。
最も難しい工程は、このフュメダイヤルを生み出す外側へのグラデーション。
H.モーザーの企業秘密でもあり、多くを語っているわけではないのですが…。詳しく知っている方にお聞きし、実際に工程の動画を拝見させてもらったところ、本当にすごかったです!
ダイヤルを実際にキズミで拡大し、10倍率で撮った写真が下の写真になります。
とっても綺麗ではないですか?さらにすごいのはこの外周へ向けてのグラデーションは、細かな黒い粒子(ラッカー塗装)を回しながらかけていることです。これだけ倍率をあげて撮影を行っても、黒い点などを確認することが難しいほど細やかな仕上げが光ります。
ドレスウォッチでありながらサイドはスポーティーに仕上げたケースデザイン!?
時計のサイドの仕上げが、目が留まります。
リューズのあるセンターに向けて、ラグから流れる曲線は非常に美しいです。
時計を所有される方からすると、サイドの仕上げよりも腕のりや文字盤の美しさやこだわりに目が行きがちですが、実際に時計を付けていて第三者から見るときに見えるのは実はサイドなのです!
私は個人的には、仕上げの細かさやブランドのこだわりが垣間見えるのが、時計のサイドと思います。
H.モーザーは、そのような意味では仕上げやラインの流れにこだわっており、個人的には独自性を貫きながらも、ドレスウォッチとしての美しさを追求しているのではないでしょうか?
ラグから中央に向けて流れるところはポリッシュ仕上げ、真ん中はサテン仕上げとなっており、こだわりが見えます。
ラグから一段凹んだ側には、ポリッシュ仕上げ、シャツのカフスや半袖着用時に傷がつきやすい箇所はサテン仕上げとなっており、実用性も兼ね備えているように感じます。
また、このようなデザインでポリッシュ仕上げとサテン仕上げが使われることは珍しく、文字盤を見るだけでわかるブランドと言われている「H.モーザー」ならではの仕上げではないでしょうか?
正面から見るとポリッシュ仕上げで非常にドレッシーですが、サイドとベゼルのポリッシュの仕上げをつなぐ細やかさはH・モーザーならではです。
異なる仕上げを用いてギャップを生み出し作っているHモーザーのこだわりと美しさは、どこから見ても魅力的な1本です。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
歴史的に見ても非常に珍しい歴史を辿っている「H.モーザー」
シンプルな時計ですが、スイス・ドイツ語圏であるシャフハウゼンで生まれた時計ブランドらしく「LESS IS MORE」精神=少ないからこそ豊かというものを文字盤でも表現しています。
西日本では当店「oomiya心斎橋店」でした見ることができない『H・モーザー』の時計を手に取ってみてください!
皆様のご来店・お問い合わせをスタッフ一同お待ちいたしております。
時計情報
エンデバー・センターセコンドコンセプト
型番:1200-1240
素材:ステンレススチール
サイズ:38.0mm
ダイアル:ブルーラグーン フュメダイアル
その他:パワーリザーブ約3日間