【パネライ歴史編】門外不出の秘密のベールに包まれた時計?!

皆様こんにちは!
いつもoomiya仙台店のブログをご覧いただきまして、ありがとうございます。
本日は歴史からひも解く、パネライの魅力についてお話していきたいと思います。

スイスで最も重要な時計販売代理店だった?

時計ブランドの多くはそのブランドの時計の製造から歴史が始まっていますが、
パネライは 時計販売店 + 修理工房 + 時計学校 として始まりました。

創業当時はロレックスを筆頭にバシュロンコンスタンタン、ロンジン、パテックフィリップなど名だたるスイスの時計ブランドの販売代理店として経営を行っておりました。
イメージとしては店舗の1階が懐中時計と腕時計の売り場、上の階には修理工房となっており少しずつ知名度がアップ、確固たる名声によってその地位を手に入れました。

時を得ずして有名となったパネライの時計店はイタリア海軍との関係もありました。
なぜ関係性が生まれたのか、おそらく19世紀後半の創業当時、イタリア海軍への機器納入業者として事業を展開し発展させた歴史があったこと、イタリア海軍向けに懐中時計を納入していたことが関係しています。
(↓は初期のパネライ時計店です。)

あの〇〇〇〇〇がムーブメント提供?!

パネライには伝説といわれている腕時計があります。
それは、イタリア海軍向けに製作が進められていたラジオミールです。
当時ムーブメントを作る技術が無かったため、関係性のあったロレックスがムーブメントを提供しラジオミールの製作がすすめられていました。

見ていただくとリューズやケース、ラグの形などが今のラジオミールのベースになったことが分かりますよね。
パネライ初の時計は47mmと今あるモデルの中でも大きなケースでありますが、文字盤にはパネライというブランド名は一切表記されておりません。
「PANERAI」と表記してしまうと敵に見つかってしまった場合どこで製造されているか特定されてしまい攻撃を受ける危険性があったからです。

語りたくなるブランド

いかがでしたでしょうか。
今回は、歴史についてお話しさせていただきました。
パネライは語るところがいくつもあるブランドです!
今回はここらへんで、また別の記事でお話しさせていただきますね!
次回もお楽しみに!