TEXT by Yu Sekiguchi
機械式時計は“いま”の感性に従って選ぶ。
オオミヤさんといえば、アヴァンギャルドな精神が最大の魅力だ。お祭り好きで人を楽しませることが大好き。そんな和歌山の県民性にあふれた彼らは、いつも誰かを驚かせるような仕掛けを企んでいるように思う。そのせいか、オオミヤに訪れるお客さんは若い方も多く、狙いのブランドがあろうとなかろうと機械式時計を楽しみながら選んでいるような気がした。
かくいう私も、オオミヤさんで本格的にそれ(機械式時計)に入門したクチだ。この業界に入ってから時計の楽しみを覚えたからか、一本目の時計を買うまでひどく悩んだのだが、いま思えば購入前の迷っている時間が一番おもしろかったかもしれない。あまたの候補から選び抜いた一本は格別に愛しいし、時刻を確認するたびに顔がにやけてしまう。入門の一本だったが、使い勝手を考慮したり、ブランドを気にしたりといった選び方はしなかった。それまで散々時間をかけて、どのムーブメントが優れているだの、あのブランドの歴史はこうだのと頭に詰め込んだが、とにかく、瞬発的に良いと感じるものしか選べなかったのだ。たぶん、腕時計が身に着けるものである以上、そういうものなのだったんだろう。
自分がその瞬間、最高に感じる時計を選ぼう。
そう、腕時計は着けてナンボ。ただ、身に着けるモノというのはその時々で“何となく気分じゃない”ということもあるから厄介だ。その場合は時計も着替える、というのはオオミヤさんの受け売りだが、ストラップを変えるだけでまたその時計への想いが鮮やかに甦ったりもする。実は、私が一本目の時計を買った決め手は、ストラップにネイビーレザーを提案されたからだったりもする。その時の私の気分は“ネイビー”だったのだ。
機械式時計というのは、滅多な扱いをしなければ半永久的に使える。だから、長い人生のなかでは、また別の時計に惹かれることもあるのだろう。その時には、自分がその瞬間、最高に感じる時計を選ぼう。風合いが変わったデニムに身を包んでバイクにまたがるならブロンズケースのゼニス・パイロットだし、史跡巡りに赴くならパネライ・ラジオミール1940を着けて時間の流れに想いを馳せたい。自分の手元で毎日を彩る腕時計は、浮気をしても怒らない(笑)最高の伴侶なのだ。